若年性アルツハイマー病 / 尻尾をかんだ蛇5

posted on 2017.03.17

eyecatch

若年性アルツハイマー病の夫とともに

初診から3年と2か月 今日のできごと

  • コーヒーメーカーのセットの仕方が??いつまで待っても??
    (あれ?変だよと指摘したところ思い出す)
  • “The Rose”の楽譜がC-durにならないか?という
    (実は同じ質問 今年に入って少なくとも5回目)
  • 活字の“F”と手書きの“F”が同じ文字と認識できずに頭をかかえる
    (フォントのデザインに似せた文字に書き直して納得)

若干のやりなおし時間があれば問題なく生活可能

これまでのお話

これが現実 アルツハイマー病

をごらんください

日々オーボエ

反乱する右手薬指を相手に格闘する

左側頭へのダメージは右手の指の制御をむずかしくしている

尻尾をかんだ蛇とともに

脳機能の低下によって引き起こされる症状を自覚するのも脳機能である

アルツハイマー病にかかった脳は自らが破壊されていく危機感を感じ続けることができない
ダメージがダメージの存在を意識の中から消していく
へびが自らの尻尾をくわえ 自らをのみこんでいくように

    

オーボエを練習すること オーボエの基礎訓練を怠らないことが 生きがいの主人であり オーボエを通じて発見する運動機能の不具合に挑むことが 日常生活の動作の維持につながっているのはたいへんありがたいことである

好きなことを続ける 楽しめることに没頭することこそ 最大の機能維持のプログラムと言えるだろう

しかしながら

基礎訓練が 月ごとに 週ごとに 困難になっていき ひとつひとつの動作に要するエネルギーはふくれあがっていく その事実に本人は気づかない

“尻尾をかんだ蛇”は もし認知機能が正常なら感じるはずの「絶望」をのみこんでくれているのだ

脳機能の欠落によってわが身がじりじりと制御不能に追い込まれる恐怖を感じないでいられるのもこの蛇のおかげと言えそうである

文字/意味/言葉/音声 そして音楽

ボランティアコンサートを続けていると 私たちがいかに複雑なプロセスをふんで 外界を認識して内的な整理をしているのかを考えさせられる場面に出会う

なにげない作業にたいする主人の戸惑いは 理解への扉になる

「うた」はどこにしまわれているのだろうか

ボランティアで各病室へ歌のお届けをしたときのことである
お好きな「秋のうた」をいっしょにうたっていただく
・村まつり
・七つの子
・夕焼け小焼け
など よく知っているだろう曲を用意した

主人は・・・歌えなかった

漢字交じり縦書きの歌詞カードに対して まず「小さくて読めない」拡大したところ「音符がなければメロディーと歌詞があわない」音符の下にひらがなで歌詞をつけたところ「ひらがなの羅列では意味が分からない」音符の下に漢字交じりに歌詞をつけて・・・

様々に工夫を凝らした楽譜をつくったのだが どうしても歌えなかった

オーボエではバッハやモーツァルトを演奏し コンサートで日本の歌のメロディーを吹いて皆さんに喜んでいただいていたので とにかく驚きだった

ところが 聴いて下さる方を前にしたとたんに別人のように歌った

「音楽には特別な力がある これぞ音楽療法」

と いう結論には あえてしない

「うた」はコミュニケーションとして記憶の中にしまわれているのかもしれないが・・・

素人なりの考察: 文字/意味/言葉/音声

主人の困惑を見ていると 記号である文字から言葉を認識するまでに多大なステップがあることに気がつく

記号の形を認識するのは 入りくんだ漢字よりも仮名の方がたやすいようである

しかし 認識した形を音声イメージに変換する時点で主人はつまづき さらに発生・発音する運動を制御するのに時間がかかってしまうため 歌のリズムにのることができない

さらに 一文字ごとの音声を短期記憶にとどめながら“まとめる”ことにたいへんなエネルギーを使う

「なにが書いてあるのかわからない」ということになる

漢字の場合 形の認識から意味のイメージへ直結するが 発音につながらない

意味と音声をつなぐ道筋が切れてしまっている

ゆっくりと語り掛けるだけでいいのか?

これは文字を読むときだけのことではなく 普段の会話の際にもあてはめられることだと気がついた

「おまえの言うことはわからん」

コミュニケーシの苦痛の中からの叫びは「ゆっくりと語りかける」だけでは対処は不可能だと思う「どうわからないのかがわからないから わからない部分を見つけ出す努力をする」その結果としての「ゆっくりと語りかける」であるべきだろう

音楽はゆったりとしていればよい あるいは ウキウキとしていればそれでよい というものではないことに通じると思う

現在進行形のチャレンジ

アルツハイマー病=物忘れ

とはちょっとちがった風景が見えませんでしょうか?
病が奪い去っていく「脳機能」は人としての存在を混乱させます

当然 本人にも家族にも戸惑いや葛藤がありますが、極力心理的な部分はとばしています。
主人の心のなかは主人にしかわからないことですから

アルツハイマー病=物忘れ

ではありません。

「ボケてまわりに迷惑をかけるどうしようもない人」でもないのです。
失われていく脳の機能に翻弄されているのです。

どれだけ本当の姿がえがきだせるかチャレンジです

早期診断 早期自覚は機能維持と以後の人生設計に大切なことです
人としてよりよく生きる
だれもが持っている権利として意識したい

アルツハイマー病に限ったことではなく誰もが意識しておきたいことだとおもいませんか?

見過ごしがちな変化の中に病気の兆候があるかもしれません
主人の場合の診断のきっかけとなった事件は「ネクタイが結べない」でした

物忘れではないことに注目してください

指先の運動をコントロールする・・・脳機能の不具合でした

若年性アルツハイマー病の場合 症状の現れ方に大きな個人差があるそうです
なかなか診断につながらず 気がついたときには大きな悲劇
そんなことにならないために 参考にしていただければさいわいです

そしてもうひとつ

イメージやマニュアルにとらわれることのない人間関係を心がけたくなりませんか?何気ない日常がどんなバランスの上に成り立っているのか ほんの少し意識してみてください

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みんなで若年性アルツハイマーな生活を理解しようの会

できるだけたくさんの方にご参加いただきたいと思っています
よろしくおねがいします